追分分去れ(長野県北佐久郡軽井沢町) [旧中山道]

追分宿を出て西に向かうと追分分去れ(おいわけわかされ)の碑が建っています。追分分去れは、中山道と北国街道(追分宿から小諸、長野、越後関川、高田などを経由して出雲崎までの脇街道)の分岐点です。写真の右側が旧北国街道で、左に見えるのは国道18号線です。
手前から2番目の石柱は延宝七(1679)年の「北国街道道標」で、正面に「東 二世安楽 追分町」、左側面に「従是中山道」と刻まれています。
その左後ろに建っているのが、安永六(1777)年「森羅亭万象の狂歌碑」で「世の中はありのままにぞ霰(あられ)ふるかしましとだに心とめぬれば」と刻まれています。
その背後のひときわ大きい石造物が常夜灯で寛政元(1789)年のものです。
旧中山道は国道から左に入っていく車の入れない道路ですが、この写真には写っていません。分去れから中山道に入り、御代田の一里塚を目指すと長い下り坂をあるくことになりますが、これが笑い坂(長野県軽井沢町・御代田町)です。江戸方面に向かうとすぐに追分宿(長野県北佐久郡軽井沢町)で、次の宿が沓掛、さらに軽井沢宿(長野県北佐久郡軽井沢町)、碓氷峠と続きます。(2007年9月18日撮影)

写真左が常夜灯でその奥の国道18号線寄りに建っているのが、安永六(1777)年の「子育て地蔵」です。この台座の部分に「さらし奈盤(なは)右みよし野ハ左尓(に)て 月登(と)花と越(お)追分の宿」と刻まれています。

旧北国街道(小諸方面)の現況。
■参考資料
『追分宿散策マップ』軽井沢町教育委員会、軽井沢町追分宿郷土館、2005年
『長野県の歴史散歩』長野県高等学校歴史研究会、山川出版社、1994年
『街道めぐり 中山道 風の旅―軽井沢‐馬籠編』さきたま出版会、2004年
『新版角川日本史辞典』朝尾直弘・宇野俊一・田中琢、角川書店、1996年
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こんにちは。久しぶりに寄らせて頂きました。人気ブログランキングの記事紹介で、「追分分去れ」とあったので、懐かしさのあまり・・・。追分というと、小説「風立ちぬ」の作者、堀辰雄や詩人の立原道造ゆかりの土地で、私も
彼らの足跡をたずねて、学生時代は毎年のように分去れのあたりをカメラ片手に歩いていました。画像を見せて頂いて、ああ、見るかぎり、あの頃とほとんど変わってないんだな・・・と、ちょっと嬉しくなっちまいました。
分去れと旅館「油屋」の間に「泉洞寺」というお寺があって、境内にある石の半跏思惟像のことを、地元で「歯痛地蔵」と呼んでいるのですが、堀辰雄がエッセイ「大和路・信濃路」のなかでそのことを書いています。
とにかく、また行きたくなってしまいました。感謝いたします。
by オヤジの趣味は、ゴロ合わせ♪ (2008-08-23 18:32)
>まじめ書店様、お久しぶりです。追分分去れの写真は去年のものですが、今年も7月に行ってきました。ところで「泉洞寺」ですが、まだ訪れたことがないので次回は必ず行きたいと思います。追分分去れは街道の分岐点なので出会いや別れなどさまざまなドラマがあったのではないでしょうか。そんな思いを抱かせるところも魅力の一つですね。暖かいコメントありがとうございました。
by i-shinkuro (2008-08-23 20:30)