多賀城外郭南門跡(宮城県多賀城市) [歴史散歩]
762〜780年ころ(宮城県多賀城跡調査研究所による政庁変遷の時期区分でいうと第Ⅱ期)にあったと考えられている多賀城の外郭の南門跡。ここにハ脚門が建っていたと推定されています。写真は南から北方向に撮影したものです(2013年8月8日、GRDⅢで撮影)。
写真の右奥に見える覆屋の中には多賀城碑(国指定重要文化財)があります。ここから北に進むとかつての南面道路があり、政庁へと直線的に向かっています。
多賀城は奈良時代に成立した古代東北支配の重要拠点で、陸奥国の民政をつかさどる「陸奥国府」とこの地方の人々との戦争を指揮する「鎮守府」としての二つの機能を持っていました。のちにこの「鎮守府」の機能は北方の胆沢城(岩手県水沢市)に移転します。
■参考資料
『古代東北統治の拠点 多賀城』進藤秋輝、新泉社、2010年
『宮城県の歴史散歩』宮城県高等学校社会科教育研究会歴史部会編、山川出版社、2007年
『新版角川日本史辞典』朝尾直弘・宇野俊一・田中琢、角川書店、1996年
コメント 0