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日光脇往還 [日光脇往還]

 日光脇往還は八王子千人同心町(東京都八王子市)から高萩(埼玉県日高市)・坂戸(埼玉県坂戸市)・行田(埼玉県)・佐野(栃木県)などを経由して日光までを結ぶ江戸時代の脇往還(脇街道)です。八王子千人同心が日光へ向かうためのと脇街道して整備・管理されました。
 この街道は他にもいろいろな呼ばれ方をします。「千人同心日光道」「八王子道」「日光御火之番様御通り之道」などです。
 八王子千人同心とは八王子千人同心町に居住し定期的に日光山に赴き防火の任(日光火之番)にあたった武士たちのことで元々は江戸を防衛するために設置されたようです。この日光火之番が始まったのは1652(慶安5)年です。
 日光脇往還の中にはかつて「八王子道」「坂戸道」「松山道」「行田道」などと呼ばれていたいくつかの道路から成り立っているので、戦国時代の八王子城・川越城・松山城・忍城・館林城を結ぶ軍用道路をつなぐ一本の街道として整備されたものと考えられます。
 八王子千人同心は片道約156キロメートル(三十九里三十丁)の距離を3泊4日の行程で日光に到達しました。日光街道を利用するよりも1日早く到達できることになります。宿泊地は、坂戸宿・佐野宿・鹿沼宿です。
 宿場は八王子千人同心町から(1)拝島宿(2)箱根ケ崎宿(以上東京都)(3)二本木宿(4)扇町屋宿、入間川を渡って(5)根岸宿(6)高萩宿、越辺川を渡って(7)坂戸宿(8)高坂宿(埼玉県東松山市)、都幾川を渡って(9)松山宿(東松山市)、市ノ川・荒川を渡り中山道と交差して(10)行田宿(11)新郷宿(以上埼玉県)、利根川を渡って(12)川俣宿(13)館林宿、渡瀬川を渡って(14)佐野宿(15)富田宿、永野川を渡って(16)栃木宿(17)合戦場宿(18)金崎宿、小倉川を渡って(19)楡木宿(20)奈佐原宿(21) 鹿沼宿、黒川を渡って(22)文挟宿(23)板橋宿(24)今市宿、となります。

 ■参考資料

『歴史の道調査報告書第四集 日光脇往還』埼玉県教育委員会、1985年
『埼玉・歴史の道50話』埼玉県立博物館編著、埼玉新聞社、2005年
「いるま歴史ガイド」ホームページ、入間市博物館ALIT
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