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松山宿(埼玉県東松山市) [日光脇往還]

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 2022年1月10日、GRDIIIで撮影。
 松山宿は日光脇往還の宿場であると同時に川越宿(川越街道)や熊谷宿(中山道、秩父往還など)を目指す人々のための宿場でもありました。松山宿は高坂宿(埼玉県東松山市)から約4キロメートル、行田宿までは約16キロメートルの位置にあります。また松山宿は日光から帰る八王子千人同心の帰りの昼食地でもありました。
 戦国時代の松山は松山城の城下町として栄えていました。その場所は現在の松本町がその中心でした。しかし江戸時代になり松山城が廃城(1601年)になると日光脇往還や児玉往還などの街道の宿場町として発展します。松山の中心地は現在の本町で町の中心地は西の方へ移動したこととなります。
 小川道・鴻巣道が交差するところを「札の辻」と言いますが、その周辺を「中町(中宿)」、札の辻の北の上沼までを「上町(上宿)」、南の下沼までを「下町(下宿)」と呼んでいました。
 昭和初期までは蔵造りの町並みが形成されていたそうです。

■主な史跡・文化財など

松山宿入り口付近から下沼公園へ(埼玉県東松山市神明町〜本町)・石造馬頭観音と庚申塔(東松山市本町)・石橋供養塔(下沼公園)・福聚寺松山宿中宿(中町)周辺松山宿上宿(上町)・曹源寺・八雲神社(本町)・上田朝直青石塔婆ほか
 
■参考資料

『歴史の道調査報告書第四集 日光脇往還』埼玉県教育委員会、1985年
『埼玉県の歴史散歩』埼玉県高等学校社会科教育研究会、山川出版社、2005年
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i-shinkuro

松山宿の記事を一部訂正しました。
by i-shinkuro (2022-01-12 16:16) 

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