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伝源経基館跡(埼玉県鴻巣市) [埼玉県の城館跡]

 伝源経基館跡(みなもとのつねもとやかたあと。埼玉県指定史跡)は、JR高崎線鴻巣駅下車徒歩10分、西口から埼玉県立高校鴻巣高校のすぐ南側にあります。
 約100メートル前後四方の方形館で埼玉県内では最古の城郭遺跡です。
 源経基は平安時代前期の武将で清和源氏の祖。平将門の乱の鎮定などで活躍しました。939(天慶二)年、武蔵国の国司である興世王(おきよおう)とともに武蔵国足立郡に下った武蔵国介(すけ。国司の次官のこと)の源経基(?〜961年)は、武蔵国の大豪族武蔵竹芝(むさしたけしば)の支配地を侵略しました。
 この事態に対して武蔵竹芝は平将門(?〜940)に救援を求めましたが、源経基は平将門を恐れて一時避難しました。このときの避難先の場所をこの館跡とする説があります。
 その後、興世王と講和した武蔵竹芝の軍の一部が源経基の館を取り囲みましたが、この時の館というのがこの館跡であるとも考えられています。なお『新編武蔵風土記稿』にもここを源経基館跡とする記述があるそうです。

東側土塁の北端部分。「角落し」の構造となっています。戦国時代に改造された部分であるかもしれません。

北側の堀と土塁(写真右)。この土塁の上に物見台があったと考えられています。

城郭の内部から北にある物見台跡をのぞむ。これは城郭の北部の土塁上にあります。

城郭の西にある腰郭(こしくるわ)。

東側の土塁と堀を南側からのぞむ。左(西)に郭があります。

東側土塁の南端部分。北端部と同じように、「角落し」の技法が見られます。(2005年5月27日)

■参考資料
『城郭資料集成 中世北武蔵の城』梅沢太久夫、岩田書院、2003年
『埼玉県の歴史散歩』埼玉県高等学校社会科教育研究会歴史部会編、山川出版社、2005年
『図説 埼玉県の歴史』小野文雄編、河出書房新社、1992年


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