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大和田宿(埼玉県新座市) [旧川越街道]

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 大和田宿は旧川越街道で日本橋からの6番目の宿駅(宿場)で日本橋からの距離は約28キロメートル、川越までは約16キロメートルの位置にあります。一つ前の宿駅は膝折宿、次の宿駅は大井宿です。
 JR武蔵野線新座駅を降りて北にある旧川越街道に出てから北西に道筋を行くとかつての大和田宿です。大和田一丁目〜四丁目にわたって宿場町が形成されていたようです。
 大和田は柳瀬川の東にあり、柳瀬川を渡る渡河地でもありました。旧川越街道が柳瀬川を越える橋を英橋(はなぶさばし)と言いますが、江戸時代は土橋であったようです。
 宿場町は西から東へ上宿・中宿・下宿と別れていました。宿場には人家が約140軒あったそうです。
 写真は大和田宿の上宿の現況。場所は大和田四丁目、道路が旧川越街道。宿の北西から東南方向(日本橋方向)を撮影(GRDIII、2022年1月22日)。

 ■主な史跡・文化財など

新座市大和田の鎌倉街道跡(埼玉県新座市大和田4丁目)・普光明寺・大和田氷川神社ほか

 ■参考資料

『歴史の道調査報告書第十二集 川越街道』埼玉県教育委員会、1990年
「大和田を歩く」(新座市ホームページ)
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旧川越街道 [旧川越街道]

 旧川越街道は江戸日本橋と川越(埼玉県)を結ぶ約44キロメートルにわたる街道です。「川越道中」「川越往還」などとも呼ばれました。五街道に次ぐ重要な脇街道(脇往還)の一つで、旧中山道の代わりとして利用されることもありました。
 旧川越街道は扇谷上杉家の太田道灌(1432〜1486年)が川越城と江戸城(1457年築城)を結ぶ軍用道路をつないで整備したのが起源のようです。そして寛永年間(1624~1643年)までには整備が終わっていたと考えられています。
 徳川家康・秀忠・家光は鷹狩りでも川越方面に出かけているので、この街道を使った可能性は高いと思います。また江戸の北西の守りの中心に位置する川越城と江戸の間では藩主をはじめ多くの家臣などが行き来したはずです。川越藩主の参覲交代のための街道でもありました。 
 宿駅は日本橋を起点として(1)上板橋(2)下練馬(以上東京都)(3)白子(4)膝折(5)大和田(6)大井(以上埼玉県)を経て川越城下までとなります。
 川越から松山宿(埼玉県東松山市)を経て熊谷宿に至る熊谷道を使えば旧中山道に合流することもできました。
 また松山宿日光脇往還の宿駅でもあります。

 ■参考資料

『歴史の道調査報告書第十二集 川越街道』埼玉県教育委員会、1990年
『埼玉・歴史の道50話』埼玉県立博物館編著、埼玉新聞社、2005年
『新版角川日本史辞典』朝尾直弘・宇野俊一・田中琢、角川書店、1996年
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