SSブログ
歴史散歩 ブログトップ
前の10件 | -

所沢航空発祥記念館 [歴史散歩]

kinenkan.jpg
 航空記念公園(埼玉県所沢市並木)内にある所沢航空発祥記念館の1階展示室(2023年9月3日、iPhoneSEで撮影)。
nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:旅行

航空記念公園(埼玉県所沢市並木) [歴史散歩]

kokukouen1.jpg
 西武新宿線航空公園駅の東口から徒歩で東に進むと県営の航空記念公園があります。航空記念公園にはかつて日本初の飛行場がありました。1911(明治44)年、東西幅50メートル・長さ400メートルの滑走路、飛行機格納庫、軽油庫、気象観測所などを備えた臨時軍用気球研究会所沢試験場(所沢飛行場)が開設されましたが、これが日本初の飛行場で後の所沢陸軍飛行場です。
 陸軍が所沢を飛行場の地に選んだのは地理・気象条件が良好だっただけではなく、気球隊があった東京の中野から近く、鉄道などの交通網が発達していたからでした。
 写真は、航空自衛隊入間基地で使われていたC-46中型輸送機と「航空発祥の地」碑です(2023年8月3日、iPhoneSEで撮影)。

続きを読む


nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:旅行

山根遺跡(埼玉県比企郡嵐山町遠山) [歴史散歩]

yamaneiseki.jpg
 ときがわ町との境にある遠山地区は中世の雰囲気を残す、周りを山々に囲まれた盆地です(2022年11月6日、iPhoneSEで撮影)。この一帯に広がるのが山根遺跡です。
 遺跡の発掘は一部の地域に限定されていますが、中世の輸入貨幣約15,000枚、丹波焼壺(兵庫県丹波地方の陶器)の破片、天目茶碗なども見つかっていることから、武士の住む地域であったのではないかと考えられています。
 南西側(写真だと左方向)の山上には小倉城跡(国指定史跡。ときがわ町田黒)があり、城主は戦国時代の北条氏の家臣であった遠山氏でした。
 遠山地区をさらに西の小川町方面に進むと「遠山寺」や槻川の岩畳の「遠山の甌穴群」などがあります。

■参考図書・資料

『嵐山町博物誌第五巻・中世編 戦い・祈り・人々の暮らし 嵐山町の中世』嵐山町、1997年
「埼玉県嵐山町観光ガイドブック」嵐山町観光協会

歴史散歩の記事一覧こちら
nice!(1)  コメント(0) 
共通テーマ:旅行

広野大下三叉路の庚申塔群(埼玉県比企郡嵐山町) [歴史散歩]

koushintougun.jpg
2022年3月27日、iPhoneSEで撮影。6基の庚申塔(町指定有形文化財、考古資料)が含まれ、すべて造立年を確認することができます。庚申塔には享保15年(1730年)、貞享二年(1685年)、寛保四年(1744年)、嘉永二年(1849年)、安永二年(1773年)、文政六年(1823年)の年号がそれぞれ刻まれています。

■参考資料

嵐山町教育委員会案内板(2016年)

歴史散歩の記事一覧こちら
nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:旅行

歴史散歩の記事一覧(史跡・名勝など) [歴史散歩]


■このブログで紹介している史跡・名勝などです(原則として訪問順、随時更新)。
 埼玉県の中世城館についてはこちらです。
 近代化遺産についてはこちらです。

所沢航空発祥記念館(埼玉県所沢市並木)
航空記念公園(埼玉県所沢市並木)
〔2022年〕
山根遺跡(埼玉県比企郡嵐山町遠山)
源義賢墓(埼玉県比企郡嵐山町)【鎌倉街道カテゴリー】
広野大下三叉路の庚申塔群(埼玉県比企郡嵐山町)
新座市大和田の鎌倉街道跡(埼玉県新座市大和田4丁目)【鎌倉街道カテゴリー】
坂戸宿(埼玉県坂戸市)【日光脇往還カテゴリー
 ┠坂戸神社(日の出町)
 ┗永源寺
松山宿(埼玉県東松山市)【日光脇往還カテゴリー
 ┠八雲神社(本町)
 ┠松山宿中宿(中町)周辺
 ┠福聚寺(本町)
 ┠石橋供養塔(下沼公園)
 ┠石造馬頭観音と庚申塔(東松山市本町)
 ┗松山宿入り口付近から下沼公園へ(埼玉県東松山市神明町〜本町)
高坂宿(埼玉県東松山市)【日光脇往還カテゴリー
 ┠石橋と石橋供養塔
 ┠高坂宿から都幾川へ
 ┗「八王子道」道標
大和田宿(埼玉県新座市)【旧川越街道カテゴリー
嵐山町志賀の東武東上線橋梁群(埼玉県比企郡)【近代化遺産カテゴリー
 ┠水坂橋梁(埼玉県比企郡嵐山町志賀)
 ┠水路橋梁(埼玉県比企郡嵐山町志賀)
 ┠水路橋梁(埼玉県比企郡嵐山町志賀)
 ┗鹿村水路橋梁(埼玉県比企郡嵐山町志賀)
・比企歴史の丘巡回文化財展「比企の近代遺産」(埼玉県立嵐山史跡の博物館)
〔2021年〕
レストラン「ベニーノ」(旧カワモク本部事務所棟・旧六軒町郵便局、川越市)【近代化遺産カテゴリー
黒山三滝(埼玉県入間郡越生町)
上福岡歴史民俗資料館(埼玉県ふじみ野市)
ふじみ野市立福岡河岸記念館
福岡河岸船着場跡
〔2020年〕
〔2019年〕
・自由学園明日館(東京都豊島区)
・東海館(静岡県伊東市)
・小石川植物園(東京都文京区)
〔2018年〕
ザ・グラススタジオイン函館2号近代化遺産カテゴリー
ザ・グラススタジオイン函館1号近代化遺産カテゴリー
箱館高田屋嘉兵衛資料館1号・2号(函館市末広町13−22)【近代化遺産カテゴリー
金森洋物館(赤レンガ倉庫群。函館市末広町)【近代化遺産カテゴリー
・五稜郭(函館市五稜郭町)
〔2017年〕
・太宰府政庁跡
・武蔵国分寺跡(東京都国分寺市)
・小田原城
・六義園(東京都文京区)
〔2016年〕
・上野
・金沢城
・神田明神
〔2015年〕
・山中城
・玉泉寺(静岡県下田)
〔2014年〕
・岩崎家住宅(東京都文京区)
〔2013年〕
鉄道博物館(埼玉県さいたま市)
多賀城外郭南門跡(宮城県多賀城市)
浅草(東京都台東区)
  ┗浅草寺雷門
〔2012年〕
旧芝離宮恩賜庭園(東京都港区)
宗悟寺(埼玉県東松山市大谷)
大谷瓦窯跡(埼玉県東松山市)
歓喜院聖天堂(埼玉県熊谷市妻沼)
金生遺跡(山梨県北杜市大泉町)
〔2010年〕
小手指原古戦場跡碑(埼玉県所沢市)【鎌倉街道カテゴリー】
〔2009年〕
国立西洋美術館(東京都台東区上野)
松本宿(長野県松本市)
  ┠蔵シック館(長野県松本市)
  ┗はかり資料館(長野県松本市)
精進池(箱根町芦ノ湯・元箱根)
〔2008年〕
善光寺…江戸時代も大人気の旅行地(長野県長野市)
  ┠三門
  ┠経蔵
  ┗本堂
江戸城桜田門(東京都千代田区)
吉原跡(記事作成中)
樋口一葉旧宅跡(記事作成中)
一葉記念館(記事作成中)
〔2007年〕
義家塚(埼玉県坂戸市)
龍勢会館…椋神社の龍勢祭りを知る資料館(埼玉県秩父市)
椋神社…1884年の秩父事件で農民約3,000名が結集した地(埼玉県秩父市下吉田)
秩父事件資料館井上伝蔵邸(埼玉県秩父市吉田)
神楽坂…毘沙門天のある善国寺の門前町としても発展(東京都新宿区)
  ┗善国寺…神楽坂のシンボルとして有名
〔2006年〕
星渓園(埼玉県熊谷市)
片倉シルク記念館…日本の近代化を支えた製糸工場の倉庫跡(埼玉県熊谷市)【近代化遺産カテゴリー
・山鹿素行生家跡(福島県会津若松市)
・会津若松城跡…会津若松のシンボルで戊辰戦争では会津藩が籠城(福島県会津若松市)
  ┠高石垣・廊下橋・埋門跡
  ┠太鼓門跡・帯郭跡…巨石を用いた太鼓門を通ると本郭跡
  ┠三の丸跡・二の丸跡…石垣では囲まれていない東の郭
  ┠北出丸跡・追手門跡…戊辰戦争時、新政府軍の侵入を阻止した優れた縄張り
  ┠西中門跡・帯郭跡…西出丸から梅坂を登り、本丸の帯郭に入ります。
  ┗西出丸跡…加藤時代に整備された出丸跡で現在は駐車場
・喜多院(埼玉県川越市)
  ┗喜多院五百羅漢…喜多院の境内に個性的な羅漢像が五百体以上鎮座
遠山記念館…日興證券創立者の遠山氏が地元に建てた邸宅と美術館(埼玉県比企郡川島町)【近代化遺産カテゴリー
高徳神社…森の雰囲気がすばらしい神社で大正2年創建(埼玉県鶴ヶ島市)
塙保己一旧宅跡…盲目の大学者にして埼玉の大偉人の旧宅跡(埼玉県本庄市児玉町)
観音院(曹洞宗)…秩父札所31番。岩壁・石仏に囲まれた観音堂(埼玉県秩父郡小鹿野町)
野上下郷青石塔婆…日本最大の板碑(埼玉県秩父郡長瀞町)
北の庄城址・柴田公園…悲劇の勇将柴田勝家の居城跡(福井県福井市)
礪波平野の散居村…強風から家を守る農家群(富山県南礪市)
五箇山相倉合掌造り集落…富山県の世界遺産「合掌造り集落」(富山県南砺市)
五箇山菅沼合掌造り集落…富山県の世界遺産「合掌造り集落」(富山県南砺市)
八幡原史跡公園…武田信玄と上杉謙信の激突「川中島の戦い」の地(長野県長野市)
  ┗八幡原古戦場本陣跡…武田信玄の本陣跡
石田堤跡…忍城を水攻めするために築いた堤防(埼玉県行田市)
水子貝塚公園…縄文時代の集落跡(埼玉県富士見市)
安楽寺…幼少の源範頼がいたとする伝承もある古刹(埼玉県比企郡吉見町)
〔2005年〕
耳塚…豊臣秀吉の朝鮮出兵ゆかりの史跡(京都市)

豊国神社(京都市)
方広寺(京都市)
品川台場跡…江戸を守るために幕末に築かれた海上砲台跡(東京都港区)【近代化遺産カテゴリー
東京芝・銀座
日米和親条約締結地…鎖国を終わらせた条約の締結地(神奈川県横浜市中区)

サイパン香取神社
・熱海MOA美術館(静岡県熱海市)
伊豆山神社(静岡県熱海市)
走湯温泉跡(静岡県熱海市)
〔2002年〕
春の京都「南禅寺」

歴史散歩の記事一覧こちら
近代化遺産の目次こちら


nice!(1)  コメント(0)  トラックバック(1) 
共通テーマ:旅行

比企歴史の丘巡回文化財展「比企の近代遺産」(埼玉県立嵐山史跡の博物館) [歴史散歩]

shiseki.jpg
 比企地区市町村教育委員会連合会・比企地区文化財振興協会・埼玉県立嵐山史跡の博物館主催の文化財展を見学しました。テーマは「比企のタイムカプセル20 比企の近代遺産」です。会場は嵐山町の菅谷館跡にある埼玉県立嵐山史跡の博物館(武蔵嵐山駅南口から徒歩約15分。11月28日まで開催。iPhoneSEで撮影)です。
 内容は「国民教育制度の確立」「近代建物の保存」「交通・土木の進歩」「神仏分離」「日米交流」「近代和風建築」「大谷石の流通」「近代化を支えたレンガ」「養蚕業の進展」「市民生活と地方窯」についてのパネル展示となっていました。
 身近なところにあっても気づかないような近代化遺産に目を向ける機会となりました。
nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:旅行

黒山三滝(埼玉県入間郡越生町) [歴史散歩]

sanntaki1.jpg
 写真は越生町(おごせまち)の黒山にある黒山三滝のうちの男滝(おだき。上段)・女滝(めだき。下段)です。ここから少し下ったところにある天狗滝と合わせて黒山三滝と言います。(2021年8月19日、iPhoneSEで撮影)
 黒山は関東の「熊野」とも言えるような信仰の地です。また修験道(しゅげんどう)の修行の地でもあったようです。熊野とは和歌山県南東部・奈良県南部・三重県南部一帯の信仰の地で、死者の霊がこもる聖地であり、11世紀に熊野三山、いわゆる本宮・新宮・那智の三社が成立してからは熊野詣が流行しました。
 また、原始的な山岳信仰と仏教の密教との融合を修験道と言います(始祖は奈良時代の役小角。えんのおずぬ)が、修行者は霊力のある山にこもり、その呪力を得ようとしました。熊野は修験道の中心的道場の一つです。
 この黒山霊場をはじめ関東の多くの霊場を管理していたのが山本坊です。坊とは宿舎とか拠点という意味です。この黒山の霊場としての特性を見出し山本坊を開いたのが栄円(山本坊栄円)です。黒山の南にある聖地大平山(おおひらさん)に栄円の供養塔である五輪塔には応永二十年の銘が刻まれており、応永二十年すなわち1413年に栄円が没したことがわかります。
 男滝の上方にはお堂があったと考えられ、そうであれば滝を御神体として祀ったのでしょう。熊野の那智大社と那智滝の関係と同様です。男滝の脇にはかつて赤堂があり、蔵王権現像が祀られていました。蔵王権現像は修験道の本尊にあたります。修験者はここで身を清めてから滝に打たれて修行しました。また天狗滝の近くには新宮がありましたが、1910(明治43)年の大水で流されてしまいました。
 栄円は近くに熊野神社(北ヶ谷戸674)を創建し、これを熊野の本宮に見立て、さらに男滝とお堂を熊野の那智大社、天狗滝を熊野の新宮に見立てることによって黒山を聖地として整備・管理したのです。

天狗滝にも行ってみる


nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:旅行

上福岡歴史民俗資料館(埼玉県ふじみ野市) [歴史散歩]

kamifukuokashiryoukan.jpg
 イオンタウンふじみ野前のコミュニティ通りを南東に向かい坂を降りたところに長宮氷川神社がありますが、さらに交差点を右に入っていくと左手に上福岡歴史民俗資料館があります。(2021年4月30日、iPhoneSEで撮影)
 イオンタウンふじみ野や市役所、学校などを含む広大なエリアにはかつて第一陸軍造兵廠川越製造所(1937年操業開始。「火工廠」とも呼ばれた)がありました。上福岡歴史民俗資料館の1階に、この第一陸軍造兵廠川越製造所の模型が展示されています。

続きを読む


nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:旅行

福岡河岸船着場跡(埼玉県ふじみ野市福岡) [歴史散歩]

shinngashigawa01.jpg
 新河岸川を東から西方向に撮影しました。正面に見えるのが福岡河岸船着場跡です。川の反対側(写真手前)にあったのが古市場河岸船着場跡(川越市古市場)です。
 福岡河岸船着場跡の奥の小高くなっているところに見える高い建物(三階建て)がふじみ野市立福岡河岸記念館にある建物です。
 17世紀に舟運の始まった新河岸川は、川越の伊佐沼などを水源とする河川で、和光の新倉で荒川と合流しました。ここからさらに荒川を下ることによって浅草花川戸までの物資流通を可能にしました。

■参考資料

ふじみ野市立上福岡歴史民俗資料館『河岸場と河岸道~新河岸川舟運を中心に~』2008年
nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:旅行

ふじみ野市立福岡河岸記念館(埼玉県ふじみ野市福岡3-4-2) [歴史散歩]

fukudaya01.jpg
 ふじみ野市立福岡河岸記念館(ふじみ野市指定文化財)に使われている建物は、かつて新河岸川の船運を担った舟問屋の福田屋の建物です(2021年2月28日、iPhoneSEで撮影)。写真の右から主屋、離れ、文庫蔵となっており、この3棟のみ現存しています。
 17世紀に舟運の始まった新河岸川は、川越の伊佐沼などを水源とする河川で、和光の新倉で荒川と合流しました。ここからさらに荒川を下ることによって浅草花川戸までの物資流通を可能にしました。
すぐ近くに福岡河岸船着場跡があります。

■参考資料

ふじみ野市立福岡河岸記念館パンフレット
ふじみ野市立上福岡歴史民俗資料館『河岸場と河岸道~新河岸川舟運を中心に~』2008年
nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:旅行
前の10件 | - 歴史散歩 ブログトップ

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。