SSブログ

ふじみ野市立福岡河岸記念館(埼玉県ふじみ野市福岡3-4-2) [歴史散歩]

fukudaya01.jpg
 ふじみ野市立福岡河岸記念館(ふじみ野市指定文化財)に使われている建物は、かつて新河岸川の船運を担った舟問屋の福田屋の建物です(2021年2月28日、iPhoneSEで撮影)。写真の右から主屋、離れ、文庫蔵となっており、この3棟のみ現存しています。
 17世紀に舟運の始まった新河岸川は、川越の伊佐沼などを水源とする河川で、和光の新倉で荒川と合流しました。ここからさらに荒川を下ることによって浅草花川戸までの物資流通を可能にしました。
すぐ近くに福岡河岸船着場跡があります。

■参考資料

ふじみ野市立福岡河岸記念館パンフレット
ふじみ野市立上福岡歴史民俗資料館『河岸場と河岸道~新河岸川舟運を中心に~』2008年
nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:旅行

鉃道博物館(埼玉県さいたま市) [歴史散歩]

鉄博1.jpg
 鉃道博物館は、鉃道・国鉄・JR東日本の鉃道資料・遺産の保存・研究、産業史としての鉃道システムの変遷についての展示、鉃道の原理・しくみ・鉃道技術の教育を行う博物館です(「鉃道博物館3つのコンセプト」より)。上の写真は、転車台に載ったC57形式蒸気機関車。一階の「ヒストリーゾーン」にあります。(2013年12月11日、iPhone4sで撮影。)

続きを読む…


nice!(3)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:旅行

多賀城外郭南門跡(宮城県多賀城市) [歴史散歩]

Ⅱ期外郭南門.jpg
 762〜780年ころ(宮城県多賀城跡調査研究所による政庁変遷の時期区分でいうと第Ⅱ期)にあったと考えられている多賀城の外郭の南門跡。ここにハ脚門が建っていたと推定されています。写真は南から北方向に撮影したものです(2013年8月8日、GRDⅢで撮影)。
 写真の右奥に見える覆屋の中には多賀城碑(国指定重要文化財)があります。ここから北に進むとかつての南面道路があり、政庁へと直線的に向かっています。
 多賀城は奈良時代に成立した古代東北支配の重要拠点で、陸奥国の民政をつかさどる「陸奥国府」とこの地方の人々との戦争を指揮する「鎮守府」としての二つの機能を持っていました。のちにこの「鎮守府」の機能は北方の胆沢城(岩手県水沢市)に移転します。

■参考資料
『古代東北統治の拠点 多賀城』進藤秋輝、新泉社、2010年
『宮城県の歴史散歩』宮城県高等学校社会科教育研究会歴史部会編、山川出版社、2007年
『新版角川日本史辞典』朝尾直弘・宇野俊一・田中琢、角川書店、1996年




タグ:古代 目次

浅草(東京都台東区) [歴史散歩]

浅草.jpg
 ホテルのレストランから東方向に撮影した浅草。写真中央に浅草寺の五重塔、そのやや左に見える大きな建物が浅草寺観音堂(本堂)です。写真中央やや右には伝法院(でんぼういん)とその庭園です。写真左下には日本最古の遊園地である浅草花やしきが見えます。遠くにぼんやりと見えるのが東京スカイツリーです。(2013年3月9日。GRDⅢで撮影)

■参考資料
『楽楽東京』JTBパブリッシング、2012年
nice!(2)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:旅行

浅草寺雷門(東京都台東区) [歴史散歩]

夜の雷門.jpg
 浅草寺の雷門は浅草寺(聖観音宗)の総門にあたります。1960(昭和35)年に再建されました。(2013年3月8日。GRDⅢで撮影)

■参考資料
『東京都の歴史散歩(上)下町』東京都歴史教育研究会編、2005年


nice!(3)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:旅行

旧芝離宮恩賜庭園(東京都港区) [歴史散歩]

芝離宮2.jpg
 旧芝離宮恩賜庭園(国指定名勝)は、JR浜松町駅北口からすぐのところにあります。1678(延宝6)年、肥前唐津藩主で幕府老中も務めた大久保忠朝(ただとも。1632〜1712年)が、この地を拝領し「楽寿園」と命名された庭園が造成されました。江戸初期の大名庭園の流れを汲む回遊式庭園の一つです。(2012年9月27日。iPhone4sで撮影)
 幕末には紀伊徳川家のものとなりましたが、1872(明治5)年に有栖川宮邸となりました。かつては海水を引き入れ、潮の干満を利用して景色を変化させていたようですが、現在は淡水となっています。
 1875(明治8)年に宮内省の所管となり、翌年に「芝離宮」となりました。離宮時代は、新橋駅や埠頭にも近かったために、迎賓館としての役割も果たしていました。

少し歩いてみる…


nice!(1)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:旅行

大谷瓦窯跡(埼玉県東松山市大谷) [歴史散歩]

大谷瓦窯跡1.jpg
 埼玉県東松山市の大谷(おおや)の里にある大谷瓦窯跡(おおやがようあと。国指定史跡)は山の斜面を利用した「登り窯」で、出土した瓦から7世紀後半の窯と考えられています。半地下式で十三段の階段状になっています。全長は約7・6メートル。
 写真左奥に見えるのが整備された窯の跡ですが、付近にはまだ埋もれている窯跡が他にもあるようです。(2012年6月16日、GRDⅢで撮影)

近づいてみる…


タグ:古代 目次
nice!(2)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:旅行

宗悟寺(埼玉県東松山市大谷) [歴史散歩]

sougoji1.jpg
 山門に至る参道(2012年6月16日撮影)。埼玉県東松山市の北部大谷(おおや)は比企一族などの伝説も多く残る地域です。
 宗悟寺(そうごじ。曹洞宗)は比企氏ゆかりのお寺の一つではありますが、正式には旗本である森川氏俊が建立した森川氏の菩提寺です。比企能員(?〜1203)や源頼家(1182〜1204)の長男一幡ら比企一族が北条時政らに滅ぼされた比企氏の乱(1203年)では能員の娘で頼家の妻の若狭の局も亡くなったとされていますが、この地の言い伝えでは若狭の局は乱後この大谷の地に落ちのび、比丘尼山の近くに頼家を弔う大谷山寿昌寺を建立したということになっています。そして1592年に大谷を知行地とした森川氏俊がこの地に寿昌寺を移して扇谷山宗悟寺として再興したと伝えられています。
 なお宗悟寺には若狭の局が持ち帰ったとされる頼家の位牌があるそうです。

続きを読む


nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:旅行

歓喜院聖天堂(埼玉県熊谷市妻沼) [歴史散歩]

国宝.jpg
2011年7月5日、GRDⅢで撮影。

場所はここ…


タグ:目次
nice!(2)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:旅行

金生遺跡(山梨県北杜市大泉町) [歴史散歩]

金生遺跡.JPG
 金生遺跡(きんせいいせき。国指定遺跡)は、谷戸城跡の南にある縄文時代後期から晩期(約3,000~2,500年前)にかけて続いた村落の遺跡です。場所については、国道141号線からのアクセスはわかりにくいので、まず大泉歴史民俗資料館や谷戸城ふるさと歴史館などを目標に訪ねるとよいと思います。
 北に八ケ岳、南に富士山などを望む位置にある村落跡で、多数の石からなる配石遺跡としても有名です。写真は復元された1号配石遺構(東西約80メートル、南北約15メートル)と住居跡の一部です。実際の遺構は風化を防ぐために埋め戻されていますが、外部材を用いて忠実に復元されています。住居についても発掘調査に基づき、壁をともなった平地式住居として復元されています。
 発掘調査は1980年に行われ、配石遺構のみならず石器・石剣・石棒・土器・土偶土製耳飾り・獣骨なども大量に発見されました。特に生後6ヶ月ほどの猪の骨が焼けた状態で大量に見つかっていることから、食料の獲得や生命の再生などを願う祭祀の存在が伺えます。(2010年8月11日撮影。GRDⅢ)

近づいてみる…


タグ:原始
nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:旅行