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国立西洋美術館(東京都台東区上野公園) [歴史散歩]

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 JR上野駅の公園口から出てすぐ右手に国立西洋美術館があります。本館はフランスの建築家ル・コルビジュが設計した建物で国の重要文化財に指定されています。
 川崎造船所社長の松方幸次郎(1865〜1950)が第二次世界大戦開戦までに収集した膨大な美術品がフランスに接収されましたが、1959(昭和34)年に無償で返還されました。松方幸次郎は薩摩藩出身の政治家松方正義の三男で、彼のこの美術収集品を「松方コレクション」と言います。国立西洋美術館はこれを展示するための美術館として同年に開館しました。
 収蔵品として有名なのは、ロダンの「考える人」(1880〜1917年)や「カレーの市民」(1884〜1886年)、モネの「睡蓮」(1916年)、ルノワールの「アルジェリア風のパリの女たち」(1872年)などです。夕方のイルミネーション装飾された国立西洋美術館もたいへんきれいです。(2009年12月12日撮影、GR1s)

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松本宿(長野県松本市) [歴史散歩]

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 松本城の城下町である松本は善光寺西街道(北国西街道)の宿場町としても発展しました。写真は松本城大手門跡の南の一部を東西に走っている中町通りで、宿場町の雰囲気をよく残しています。この中町通りはかつての善光寺西街道(北国西街道)の一部で東西約350メートル、道幅や屋敷割りがほぼ昔のまま残っていると言われています。(2009年8月10日撮影)
 松本はまた、千国街道(松本から大町・千国などを経由して糸魚川に至る)・野麦街道(松本から野麦峠などを経て飛騨高山に至る)の起点でもありました。
 この中町通りを東に向かうと城下を南北に走る国道143号線と交差しますが、善光寺西街道はこれを北上し、善光寺に至ります。
 1888(明治21)年の大火の後多くの蔵造りの建物が建ち、今日に至っています。中町通りを東に歩いて上土町通りの入り口まで行くと松本市はかり資料館があります。
 また通りを西に戻ると蔵シック館があります。

 ■参考資料
『日本の街道ハンドブック新版』竹内誠、三省堂、2006年
『信濃路をゆく(下)芦田宿~本山宿』児玉幸多監修、学研、2001年

中町通り


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蔵シック館(長野県松本市) [歴史散歩]

蔵シック館JPG.JPG
 蔵シック館(長野県松本市)は、松本宿中心の中町通り(旧善光寺街道)のほぼ中央に面しています。
 ここにある古い三つの建物は、近くの造り酒屋である大禮酒造の母屋・土蔵・離れを移築して整備したものです。写真の建物は旧母屋の2号館で、手前は広場になっています。
 これらの建物も、1888(明治21)年の大火(「極楽寺の大火」)の直後に建てられたそうです。

■参考資料

松本市・中町・蔵シック館ホームページ(http://www.mcci.or.jp/www/kurassic/)

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はかり資料館(長野県松本市) [歴史散歩]

はかり資料館.JPG
 松本宿の中心にある中町通り(旧善光寺西街道)にある資料館です。
 かつての竹内度量衡店(1902~1986年)を整備した資料館で、「計り・量り・測り」についての資料を多数展示しています。(2009年8月10日撮影)

■参考資料

『長野県の歴史散歩』長野県の歴史散歩編集委員会、山川出版社、2006年

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精進池(箱根町芦ノ湯・元箱根) [歴史散歩]

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 元箱根から芦ノ湯方面に向かって国道1号線をしばらく行くと左手に箱根町立の石仏・石塔群保存整備記念館が見えてきます。その先にあるのが精進池です。
 このあたりは火山活動の影響でつくられた荒涼たる風景があたかも地獄を思わせる地で、鎌倉時代末期に築造された石仏・石塔がたくさんあります(元箱根石仏群)。(2009年3月29日撮影)

■参考資料
『神奈川県の歴史散歩(下)鎌倉・湘南・足柄』神奈川県高等学校教科研究会社会科部会歴史分科会編、山川出版社、2005年

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タグ:中世
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サイパン香取神社(サイパン島) [歴史散歩]


 サイパン島のガラパン郊外にある砂糖王公園(シュガー・キング・パーク)に隣接して、「サイパン香取神社」があります。この神社はサイパン島の氏神様として1984年に再建されました。

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新吉原跡(東京都台東区千束) [歴史散歩]

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 写真は、江戸幕府公認の遊廓吉原(新吉原)の唯一の出入り口である「吉原大門(おおもん)」があったところ。大門のあった位置がわかるようになっています。ここから南西のエリアが仲ノ町(なかのちょう)です。

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タグ:近世
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樋口一葉旧宅跡(東京都台東区) [歴史散歩]

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(記事作成中)一葉記念館から歩いてすぐのところに樋口一葉旧宅跡(台東区竜泉3-15-2)があります。前の通りは茶屋町通りですが、樋口一葉の住んでいた当時は大音寺通りと呼ばれていました。

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一葉記念館(東京都台東区) [歴史散歩]

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(記事作成中)営団地下鉄日比谷線の三ノ輪駅を降りて、国際通りを南下します。二つ目の信号を過ぎると竜泉三丁目ですが、三つ目の信号を過ぎてからしぱらくすると左に入る一方通行の道がありますので、そこを進むと台東区立一葉記念館の建物が見えてきます。2006(平成18)年にリニューアルされたのでとてもきれいです。この記念館は樋口一葉(1872〜96年)の資料を展示する、女性作家単独の資料館としては日本で初めてつくられた記念館です。

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義家塚(埼玉県坂戸市塚越) [歴史散歩]

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 坂戸市塚越は小規模古墳の密集地でもありますが、この古墳群の塚の一つ(約1.8メートルほど)に築かれたのが義家塚(よしいえづか)です。義家塚はまた塚越神社(つかごしじんじゃ)とも呼ばれています。
義家は11世紀に活躍した源氏の棟梁の八幡太郎義家です。前九年合戦(1051〜1062)、後三年合戦(1083〜1087)など東北地方での戦いで源義家は東国における源氏の棟梁としての地位を確立しました。
 義家が東北地方へ向かう途中にこの地を経由したのですが、川の増水で足止めをされました。そしてこの地に陣を敷いて近くの大宮住吉神社において戦勝と川の減水を祈願したところそれがかなったということです。
 その後源頼朝が1187(文治三)年九月、この塚に先祖の義家を祀るようにと命じたのが塚越神社の始まりです。
 源義家がこの塚に腰をかけたところから塚の腰と名付けられ、さらにこの地を塚越と呼ぶようになったようです。(2007年9月23日撮影。GR1s)

横から見てみる…


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