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坂戸神社(埼玉県坂戸市日の出町) [日光脇往還]

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 日光脇往還(日光街道)を鶴ヶ島方面から北上し、坂戸宿(埼玉県坂戸市)に入る手前にあるのが坂戸神社です(2022年2月24日、GRDIIIで撮影)。
 江戸時代には「日枝山王社」と呼ばれていました。清寧天皇・櫛御気野命(くしけぬのみこと)・猿田彦命・大山咋神・建御名方命(たてみなかたのみこと)・菅原道真公・須佐之男命・菊理姫命(くくりひめのみこと)・倉稲魂命(うかのみたまのみこと)・応神天皇の十神を御祭神とする神社です。

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坂戸宿(埼玉県坂戸市日の出町・本町・元町) [日光脇往還]

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 坂戸宿(埼玉県坂戸市)は日光脇往還(日光街道)の高萩宿から約6キロメートルの宿場です。次の宿場は高坂宿(埼玉県東松山市)です。
 高萩、鶴ヶ島から日光脇往還の道筋を進み東武東上線の踏切を越えてしばらくすると左に坂戸神社があります。さらにもう少し進むと旧坂戸宿に入ります(写真。2022年2月24日、GRDIIIで撮影)。通りの約1キロメートル先の突き当たりに坂戸小学校がありますが、ここまでが坂戸宿の宿場町でした。小学校の柵の近くには道標が残っています。
 江戸時代にの宿場町には約180軒の民家がありました。今も商店街となっています。坂戸宿は八王子千人同心が八王子を出発してから最初の宿泊地でした。

■主な史跡・文化財など

坂戸神社(日の出町)・旅籠角屋跡・永源寺・道標(宝暦十年)など

■参考資料

『歴史の道調査報告書第四集 日光脇往還』埼玉県教育委員会、1985年
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松山宿上宿(埼玉県東松山市本町一丁目) [日光脇往還]

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 松山宿中宿(中町)にある交差点から日光脇往還の道筋をさらに200メートル程北上すると松山宿の上宿(上町)です(2022年2月5日、GRDIIIで撮影)。
 写真の左(西側)に見えるのが八雲神社で、右手(東側)には曹源寺(曹洞宗)があります。
 さらに進むと左手に上沼公園が見えてきます。

■参考資料

『歴史の道調査報告書第四集 日光脇往還』埼玉県教育委員会、1985年
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松山宿中宿(中町)周辺(埼玉県東松山市本町) [日光脇往還]

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 松山宿の南(下町)にある福聚寺の参道入り口から日光脇往還の道筋を約300メートル程北に進むと本町一丁目交差点にでます。ここがかつては松山宿で最も賑わったところで「札の辻」と呼ばれていました(2022年2月5日、GRDIIIで北方向を撮影)。
 ここはまた重要な東西の道路と交わるところでもありました。西(写真左)に伸びる道路が小川(比企郡小川町)方面へ向かう道で、東に伸びる道は鴻巣(鴻巣市)へ向かう道です。
 交差点北の左の角は糀谷旅館があったところです。右の角は本町広場となっており松山道路元標が移設・保存されています。

もう少し北に歩く


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石橋と石橋供養塔(埼玉県東松山市) [日光脇往還]

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 2022年1月30日、GRDIIIで撮影。日光脇往還高坂宿(埼玉県東松山市)の北部にある「八王子道」道標から都幾川に徒歩で向かい、都幾川河畔(都幾川リバーサイドパーク)に降りたところに小さな水路があり、長さ3メートルほどの緑泥片岩でできた石橋(市指定歴史資料)が架かっています(道標から都幾川への道)。
 北にはかつて「高坂の渡し場」があり、都幾川を渡って松山宿(埼玉県東松山市)に向かいました。
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 石橋供養塔(市指定歴史資料)。石橋供養塔とは、石橋を設置・修理・改修したり木橋を石橋に掛け替えたりした時に、橋の完成などを祝ったり橋の長寿を祈願するため、また交通の安全を祈って建立されたと思われる石造物で、江戸時代から明治時代にかけて特に東日本で数多く建立されました。元々は今よりも石橋に近い位置に建っていたそうです。
 表には馬頭観音座像と「石橋供養塔」の文字などが刻まれています。

裏面を見てみる


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高坂宿から都幾川へ(埼玉県東松山市) [日光脇往還]

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 日光脇往還高坂宿(埼玉県東松山市)を南から北に歩くと国道407号線と信号が見えてきます。その約50メートル手前2本目の道が右側にあります。ここが日光脇往還と川越・児玉往還との分岐点になります。写真の右端に道標が写っています。奥の方の石造物が「八王子道」道標です。
 右に入る道が八王子道(日光脇往還)で、右折してこの道を進みます。

八王子道(日光脇往還)を進む


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「八王子道」道標(埼玉県東松山市高坂) [日光脇往還]

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 日光脇往還高坂宿(埼玉県東松山市)を南から北に歩くと国道407号線と信号が見えてきます。その約50メートル手前2本目の道が右側にあります。ここが日光脇往還と川越・児玉往還との分岐点になります。この分岐点に「八王子道」道標が建っています(2022年1月30日、GRDIIIで撮影)。八王子道とは写真に写っている道で日光脇往還を指します。今では舗装されたきれいな道路です。
 道標の正面には「八王子道」、向かって左には「左 ちゞぶ ひき いわどの道」「安永十年(1781年)」、右には「右 日光 よしみ いわどの道」と刻まれています。左面の「いわどの」は西の方角にある岩殿山正法寺(岩殿観音。東松山市)、右面の「いわどの」は安楽寺(岩殿山安楽寺。吉見観音。比企郡吉見町)を指していると思います。
 高坂宿から松山宿(埼玉県東松山市)に向かうにはこの道標のあるところを右折し都幾川を目指します(高坂宿から都幾川へ)。

 ■参考資料

『歴史の道調査報告書第四集 日光脇往還』埼玉県教育委員会、1985年
『歴史の道調査報告書第十七集 川越・児玉往還』埼玉県教育委員会、1994年
「東松山市観光」パンフレット(東松山市観光協会)
「吉見町ホームページ」(吉見町)
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高坂宿(埼玉県東松山市) [日光脇往還]

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 東武東上線高坂駅東口を出て、駅前通りを直進すると右手に郵便局が見えてきます。この交差点の左右(南北)の道が日光脇往還で宿場町が形成されていました(2022年1月31日、GRDIIIで撮影。上が北)。
 高坂宿は南は九十九川にかかる坂下橋のあたりから街道沿いを北に、北は国道407号線に出るまでのおよそ1キロメートルのエリアとなります。
 高坂宿はかつて日光脇往還の宿駅で宿場町ですが、八王子方面からの旅程では坂戸宿(埼玉県坂戸市)の次の宿で、高坂宿の次の宿は松山宿(埼玉県東松山市)です。
 また高坂宿は川越・児玉往還の宿駅(宿場)でもあります。川越からの旅程では石井宿(坂戸市)の次の宿で高坂宿の次の宿は菅谷宿(埼玉県比企郡嵐山町)です。
 高坂宿の北端、国道407号線に出る手前に「八王子」道標があります。右に行くと日光脇往還の道筋、左に行くと川越・児玉往還です(北に歩いて「八王子道」道標のところまで行く)。

 ■主な史跡・文化財など

「八王子道」道標高坂宿から都幾川へ石橋と石橋供養塔・高済寺他

 ■参考資料

『歴史の道調査報告書第四集 日光脇往還』埼玉県教育委員会、1985年
『歴史の道調査報告書第十七集 川越・児玉往還』埼玉県教育委員会、1994年
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福聚寺(東松山市本町) [日光脇往還]

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 東松山市立図書館の向かいの下沼公園内に石造馬頭観音と庚申塔がありますが、公園を左に見ながら県道(日光脇往還)を北に進むと左に福聚寺の参道があります(iPhoneSEで撮影)。

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石造馬頭観音と庚申塔(東松山市本町) [日光脇往還]

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 日光脇往還を進み、松山宿入り口付近から下沼公園へ(埼玉県東松山市神明町から本町へ)細い街道跡を進むと県道66号線に直角に突き当たります。正面にあるのが下沼公園です。日光脇往還はここで右に折れ県道ぞいの道筋を北上します。このあたりから宿場町の中心となります。
 街道と県道の合流地点に建っているのが写真の石造馬頭観音(左)と庚申塔(右)です(2022年1月16日、GRDIIIで撮影)。
 馬頭観音は憤怒の様相で表現される観世音菩薩ですが、この塔は文字で「馬頭観世音」と刻まれています。旅や輸送に重要な役割を果たした馬の健康を願ったり、馬を供養したりするために江戸時代に全国的に造立されました。文久元年(1861年)の銘があります。庚申塔は庚申信仰をもとに建立された石塔です。元文五年(1740年)の銘があります。

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