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黒山三滝(埼玉県入間郡越生町) [歴史散歩]

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 写真は越生町(おごせまち)の黒山にある黒山三滝のうちの男滝(おだき。上段)・女滝(めだき。下段)です。ここから少し下ったところにある天狗滝と合わせて黒山三滝と言います。(2021年8月19日、iPhoneSEで撮影)
 黒山は関東の「熊野」とも言えるような信仰の地です。また修験道(しゅげんどう)の修行の地でもあったようです。熊野とは和歌山県南東部・奈良県南部・三重県南部一帯の信仰の地で、死者の霊がこもる聖地であり、11世紀に熊野三山、いわゆる本宮・新宮・那智の三社が成立してからは熊野詣が流行しました。
 また、原始的な山岳信仰と仏教の密教との融合を修験道と言います(始祖は奈良時代の役小角。えんのおずぬ)が、修行者は霊力のある山にこもり、その呪力を得ようとしました。熊野は修験道の中心的道場の一つです。
 この黒山霊場をはじめ関東の多くの霊場を管理していたのが山本坊です。坊とは宿舎とか拠点という意味です。この黒山の霊場としての特性を見出し山本坊を開いたのが栄円(山本坊栄円)です。黒山の南にある聖地大平山(おおひらさん)に栄円の供養塔である五輪塔には応永二十年の銘が刻まれており、応永二十年すなわち1413年に栄円が没したことがわかります。
 男滝の上方にはお堂があったと考えられ、そうであれば滝を御神体として祀ったのでしょう。熊野の那智大社と那智滝の関係と同様です。男滝の脇にはかつて赤堂があり、蔵王権現像が祀られていました。蔵王権現像は修験道の本尊にあたります。修験者はここで身を清めてから滝に打たれて修行しました。また天狗滝の近くには新宮がありましたが、1910(明治43)年の大水で流されてしまいました。
 栄円は近くに熊野神社(北ヶ谷戸674)を創建し、これを熊野の本宮に見立て、さらに男滝とお堂を熊野の那智大社、天狗滝を熊野の新宮に見立てることによって黒山を聖地として整備・管理したのです。tenngudaki.jpg
↑天狗滝。
 JR越生駅・東武越生線越生駅から川越観光自動車の越生〜黒山線のバスに乗車し黒山バス停下車、徒歩20分程度のところに男滝・女滝があります。
 また県道(子の権現道)に戻って飯能方面に3分ほど歩くと「渋沢平九郎(渋沢栄一の義弟で養子)自決の地」があります。

■参考資料

『新版角川日本史辞典』朝尾直弘・宇野俊一・田中琢、角川書店、1996年
『埼玉県の歴史散歩』埼玉県高等学校社会科教育研究会、山川出版社、2005年
『越生の歴史I 原始・古代・中世』越生町教育委員会、1997年
文化財案内板「黒山三滝」越生町教育委員会、令和2年4月30日
「東上線沿線物語」ホームページ
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