忍城跡(埼玉県行田市) [埼玉県の城館跡]
秩父鉄道行田駅から西に徒歩約10分で、忍城跡(おしじょうあと)に着きます。忍城は、中世を通じて活躍した成田氏によって築城されたのが始まりとされています。成田氏は藤原氏の流れを汲み、武蔵国司として勢力を拡大しました。本拠地は熊谷市の上之(かみの)でした。
少なくとも文明十一年(1479年)には築城されており、成田氏の居城であったことが文書で確認されています。
戦国時代の終わり頃は後北条氏に属していましたが、豊臣秀吉の小田原の陣(1590年)において、有名な「石田三成の水攻め」にあって開城しました(この際築造されたのが石田堤(埼玉県行田市・吹上町)です)。その後、徳川家康が関東の支配をまかされると家康の支配する城となりました。
寛永十六年(1639年)、阿部氏が入城し忍城は大規模に改築され、同時に城下町の整備も始まりました。(2006年3月21日)
写真は本丸跡に復元された御三階櫓。元々あった場所とは別のところに復元されています。かつての櫓は1703年に完成しました。
本丸跡は行田市郷土博物館の駐車場になってます。
本丸の西側の土塁跡。
本丸の南側の土塁跡。上は電力会社の変電施設となっています。
上の写真の土塁の東側に復元された本丸に入る門。本丸と二の丸はこの部分でつながっていたようです。
本丸の北側の土塁跡と堀跡。発掘調査に基づいて復元されています。
本丸跡の北側、国道125号線を隔てて残る諏訪曲輪の土塁跡。
鐘楼が城趾公園内に移築されています。
復元された堀・橋。
復元された城門。
■参考資料
『行田市郷土博物館見学のしおり』行田市郷土博物館
『1988年版常設展示解説図録』行田市郷土博物館
『埼玉県の歴史散歩』埼玉県高等学校社会科教育研究会歴史部会編、山川出版社、2005年
『城郭資料集成 中世北武蔵の城』梅沢太久夫、岩田書院、2003年
incrocio様、niceありがとうございます。プログ拝見しました。これからもよろしくお願いします。
by i-shinkuro (2006-04-09 09:02)
PIROSHIさん、コメント&TBありがとうございました。
石田三成の水攻めについて、また貴重な資料を見せていただきまして
ありがとうございました。
今後もいろいろ教えて下さい。
by しずか (2006-09-04 20:03)
>しずか様、いつもありがとうございます。この水攻めはどちらかというと失敗で、逆に忍城の堅固さを高名にする結果となりました。
でも私は石田三成が大好きです(?)。
by i-shinkuro (2006-09-10 08:27)