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館山海軍砲術学校跡(千葉県館山市) [戦争遺跡・軍事遺産]

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 館山市中心部から国道410号線で白浜方面に南下して約7キロメートルほど行くと安房佐野ですが、ここの信号を左に曲がってコンクリート製の橋(戦車橋)を渡った先が、館山海軍砲術学校(通称「館砲」)跡です。現在この地は中学校校地、住宅地、田畑などになっています。
 館山海軍砲術学校は、海軍が陸上戦闘(陸戦とも言います)についての教育・訓練を実施するため、1941(昭和16)年6月この地に設置されました。近くに平砂浦(へいさうら)海岸という上陸演習にふさわしい演習場が設置できるということ、また館山航空基地にも近いことからこの地が開校地として選ばれたようです。
 太平洋戦争開戦直前の9月、太平洋の島々を舞台にアメリカ・イギリスとの戦闘が行われることを想定して、この館山海軍砲術学校にも第一特別陸戦隊と第三特別陸戦隊が編成され、パラシュートによる降下訓練などが行われました。この部隊は海軍で初めてつくられたパラシュート部隊で、開戦直後の1942年1月、セレベス島メナドへの奇襲占領作戦を成功させました。
 上の写真は戦車橋を渡って正面に延びる直線道路で砲術学校のメインストリート跡です。現在は左手に中学校があります。館山市教育委員会の説明板によると、この中学校のあるエリアには衛兵詰所・第一学生舎・第二学生舎が建っていたようです。
 中学校の脇にはパラシュート訓練用プール跡が、また、このメインストリートをさらに進んで左手奥には赤煉瓦造のボイラー室跡が残っています。また、戦車橋を渡って右手の奥の住宅地の中に館山海軍砲術学校平和祈念塔があります。(2008年3月28日撮影)senshako.jpg
正門を入ってすぐ右側にも大きな直線道路があります。この道路の右側にはかつて戦車庫や砲車庫が建っていました。
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砲術学校のメインストリート跡をさらに進んだところ。左手に本部・兵舎があったそうです。
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このあたりに正門がありました。向こうに見える道路が国道410号線で、右(北)が館山市中心部方面、左(南)が白浜方面です。戦車などはここの正門を出て戦車橋を渡り、演習場である平砂浦(へいさうら)海岸まで向かったものと思われます。
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砲術学校跡の一部。

■参考資料
『あわ・がいど1戦争遺跡』NPO法人南房総文化財・戦跡保存活用フォーラム、2004年
『千葉県の歴史散歩』千葉県高等学校教育研究会歴史部会、山川出版社、2006年
『写真と地図で読む!知られざる軍都東京』 洋泉社、2006年

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