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青鳥城跡(埼玉県東松山市) [埼玉県の城館跡]

 関越自動車道の東松山インターチェンジを降りて熊谷方面に少し走り、青鳥交差点を左折するともう青鳥城跡(おおとりじょうあと)の城域です。
 青鳥城跡は、約100メートル四方の方形の本郭とそれを囲む二の郭からなります。二の郭は東西約550メートル、南北約300メートルの規模(東松山市教育委員会)で、さらに外側に三の郭が取り囲んでいたと考えられています。平安時代末期に方形の本郭が築かれ、戦国時代を通じて二の郭、三の郭と拡張されたのではないでしょうか。本郭・ニの郭とも土塁跡や堀跡がよく残されています。
 ここから東へ約4キロメートルのところに松山城跡(埼玉県比企郡吉見町)が、約5キロメートル西には菅谷館(埼玉県比企郡嵐山町)があります。
 この城は室町時代の平城で、都幾川周辺の低地にのぞむ台地上に築かれており、城主としては松山城主上田朝直(案独斎)に仕えた山田直安などが考えられています。(2006年3月6日)

写真は本郭跡の西側の土塁(左)です。正面奥に見えるのが北側の土塁跡です。

本郭を西側の土塁から撮影。本郭は約100メートル四方の方形で三方をは土塁に囲まれています。
本曲輪の南側に土塁は無く、切岸(きりぎし)になっています。

本郭の南の切岸。切岸(きりぎし)とは、人為的に急斜面を構築し、敵が登って侵入するのを防ぐものです。
道路から見えるのはこの部分です。

本郭土塁の西の角の部分。わずかに高まりが見られます。

本郭の北側の堀。土塁と合わせて高さ8メートル位はありそうでした。

本郭の西の土塁。外側に婉曲して南に約50メートル伸びています。右の方に本郭があります。

二の郭と三の郭の間の土塁。すぐ近くの関越自動車道によって分断されている東端の部分です。
土塁が二重になっている可能性があり、写真は南側(二の郭寄り)の土塁で高さ約3メートルです。

三の郭(二の郭の外側)から南を望む。写真では見えませんが、遠くに土塁があります。

三の郭の北側には「内青鳥宿」という地名があります。

二の郭の内側の土塁近くに立つ碑。正中三年(1326年)の年号があります。
後ろには二の郭の土塁跡が見えます。

この土塁の反対側(北側)。高さは5メートル程度でしょうか。

二の郭の西端の土塁。この先が大手(写真右奥)であったと思われます。近くにホテルが2軒建っています。

おためヶ池。二の郭の東端の土塁の外側にあったと思われる堀です。写真でいうと池の左側に土塁があったと考えられています。

おためヶ池のほとりに建つ虎御石。応安二年(1369年)の年号があります。

三の郭の存在を思わせる、土塁跡らしきもの。おためヶ池のさらに東にあります。
■参考資料
『城郭資料集成 中世北武蔵の城』梅沢太久夫、岩田書院、2003年
『埼玉県の歴史散歩』埼玉県高等学校社会科教育研究会歴史部会編、山川出版社、2005年
『埼玉の古城址』中田正光、有峰書店新社、1989年
『城館調査ハンドブック』千田嘉博・小島道裕・前川要、新人物往来社、1993年


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コメント 4

マイケル

精力的に回られていますね。なかなか一般の人が訪れないところを、よく調べておられますね。私も頑張らなくては。
by マイケル (2006-03-17 23:31) 

i-shinkuro

マイケル様、いつも感謝です。城跡には高速道路などもどんどん使って車で接近し、そのあと徒歩で歩き回るという感じです。長距離を歩くのは苦ではないのですが、今回のこの青鳥城跡ですが、大手に2軒、二の郭に1軒の大きなホテルが建っていて、ある意味でちょっとたいへんでした。
by i-shinkuro (2006-03-18 13:25) 

左馬助

こんばんは。何と私も3月15日に行ってきました。
本当に県の史跡かと思うほど破壊されているところもありましたが・・・
さすが屈指の名城でしたね。
私も近いうち報告しますので。
by 左馬助 (2006-03-18 19:54) 

i-shinkuro

左馬助樣こんばんは。青鳥城については以前から探訪したかったところでした。今回、二の郭の外の土塁について充分観察できなかったことが悔やまれます。土塁全体が二重構造だったようです。左馬助様の御報告楽しみにしております。
by i-shinkuro (2006-03-18 20:44) 

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