松山道道標(埼玉県桶川市) [旧中山道]
中山道の宿場町桶川宿の北にある上木戸跡付近から、西に松山道が分岐していました。松山道は松山(東松山市)に至る街道で、江戸時代中期には松山の箭弓稲荷神社(やきゅういなりじんじゃ)への参拝者が多く通行していました。道しるべに見える「松山いなり道」とは、この稲荷神社への道であることを示すものです。
松山道道標(桶川市指定有形民俗文化財)は、この松山道の道しるべとして建立されたものです。場所は、上木戸跡を北に出て、すぐ左折してからしばらく歩くと小学校がありますが、その敷地内で、道路に面して建っています。
道しるべは石でできており、「天保七年(1836年)」「日本橋本小田原町」などの文字も刻まれています。「天保七年」は建立された年で、「日本橋本小田原町」はこの道標を建立した人々が日本橋の魚河岸の人たちであることを示しています。写真では見えませんが、魚河岸を示す「魚」を図案化した文字もありました。
この道標は、1987(昭和62)年に修復され、松山道に近いこの地に移されました。(2006年6月4日)
■参考資料
『中山道桶川宿ガイドブック』桶川市商工会女性部、桶川市観光協会、1999年
『中山道桶川宿歴史再発見マップ』桶川市商工会婦人部、1999年
『埼玉県の歴史散歩』埼玉県高等学校社会科教育研究会歴史部会編、山川出版社、2005年
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こういう隠れた文化財、貴重です。
by マイケル (2006-07-23 10:02)
>マイケル樣、コメントいつもありがとうございます。マイナーな史跡ではありますが、このような生活に密着した「地域の歴史」について学ぶことも、とても大事であると考えています。
地域の歴史の側面から、日本の歴史に光をあてるといった感じでしょうか。
これからもよろしくお願い致します。
by i-shinkuro (2006-07-23 19:05)