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桶川宿本陣跡(埼玉県桶川市) [旧中山道]


 JR桶川駅東口から歩いて中山道に出ると桶川宿跡です。さらにそこから少し北上すると右手に「桶川宿本陣跡」(埼玉県指定文化財)があります。
 本陣(ほんじん)とは、主要街道の宿場町に置かれた大名・公家クラスの人々のための宿泊施設で、この桶川宿は加賀藩主の前田家や水戸の徳川斉昭(徳川慶喜将軍の父)の宿泊場所として有名です。
 しかし、この桶川宿の本陣に幕末に宿泊した人物として忘れてはならないのは、孝明天皇(1831〜66)の妹である和宮(かずのみや。1846〜77)です。皇女和宮の降嫁(皇室を離れて嫁ぐこと)は、桜田門外の変(1860年3月3日)で大老井伊直弼(1815〜60)が白昼暗殺され幕府の権威が失墜した後、天皇の権威を利用して幕府を建て直そうとする公武合体策の一環として画策されたもので、和宮は婚約者有栖川宮熾仁(ありすがわのみやたるひと)親王との婚約を破棄し、徳川家茂に降嫁することとなりました。
 1861(文久元)年、10月20日に京都を出発した和宮一行は、11月11日に本庄宿(埼玉県)に入り、13日にこの桶川宿の本陣に宿泊しました。和宮が寝室として使った部屋と湯殿として使った部屋が残っているそうです。
 この和宮宿泊のために人足と馬が徴発されることとなりましたが、その数は人足36,450人、馬1,799頭と伝えられています。桶川宿周辺は天領すなわち幕府直轄領でしたが、周辺の農民にこの人馬を提供するという負担が課されました。このような負担を「助郷役(すけごうやく)」といいます。宿場において人馬を差配したのが「問屋場」です。桶川宿をあとにした和宮一行は、11月15日に板橋宿(東京都)に入りました。
 桶川宿本陣跡は現在も個人宅の敷地内にあるので、一般公開されていません(2005年6月4日現在)。

本陣の向かいには本陣の予備の宿泊施設としての「脇本陣」がありましたが、当時の建物は現存していません。

■参考資料
『中山道桶川宿ガイドブック』桶川市商工会女性部、桶川市観光協会、1999年
『埼玉県の歴史散歩』埼玉県高等学校社会科教育研究会歴史部会編、山川出版社、2005年
『新版角川日本史辞典』朝尾直弘・宇野俊一・田中琢、角川書店、1996年

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コメント 2

kan

このような跡が残っているのですね。
イメージが広がります。
by kan (2006-07-20 08:43) 

i-shinkuro

>kan樣。コメント感謝です。宿場は鉄道で言うと街道の駅にあたる場所ですね。この駅にもさまざまなドラマがあったと思います。
またぜひご訪問下さい。
by i-shinkuro (2006-07-20 20:43) 

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