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会津若松城「北出丸跡・追手門跡」 [他県の城館跡]


 北出丸跡の北側部分で、長さは約190メートルあります。出丸とは城郭中心部の外側に築かれた防御区域のことで、北出丸は西出丸とともに加藤時代に築かれました。戊辰戦争の際にも会津藩は、北出丸と西出丸によって新政府軍の攻撃を側面から防ぐことに成功しました。
 堀は、「追手前西堀」といいます。西北の角の部分には側面攻撃を可能にするための出っ張りである「横矢掛け」があります。

 北出丸の東側部分で、約40メートルの長さです。
 東北の角にも「横矢掛け」が築かれていますが、この写真では裏側にあるので見えません。

 追手門跡付近。門があったのは右側奥なので、正面から見ることができず、戊辰戦争のときも新政府軍は追手門攻撃にてこずり、指揮官が戦死しています。結局、新政府軍はこの門を突破することはできませんでした。
 追手門跡は会津若松城の縄張りの見事さをよく示している一例です。

 北出丸跡。堀ごしにわずかですが本丸跡が見えます。現在北出丸跡は、弓道場やタクシー乗り場になっています。北出丸跡の中は車で通り抜けることができます(ただし一方通行で、追手門跡の方から入れます)。私も車で攻城してみました。
 この北出丸跡の南側に本郭・天守閣がありますが、北出丸と本丸をつなぐ通路を椿坂といいます。ここを通ると太鼓門跡・帯郭跡です。(2006年7月30日撮影)

■参考資料
『やさしい会津の歴史』会津若松観光公社、2006年
『名城をゆく 4 会津若松城跡』小学館、2004年
『会津若松市史4 城下町の誕生 会津近世の開幕』会津若松市、1999年

会津若松城「北出丸跡・追手門跡」


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