SSブログ
戦争遺跡・軍事遺産 ブログトップ
前の10件 | 次の10件

師団坂(東京都北区赤羽台) [戦争遺跡・軍事遺産]


 JR埼京線・京浜東北線の赤羽駅から線路を右手に見ながら北に約5分程度歩くと、八幡神社の参道がありますが、そのまま線路沿いに登っていく正面の坂道が「師団坂」です。ちなみに、八幡神社の参道のあたりから軍用鉄道の引込み線が分岐して西のほうに線路が敷かれていました(この線路跡は現在赤羽緑道公園になっています)。
 師団坂という名称は、軍隊の組織単位である「師団」からきています。この坂のすぐ上には旧陸軍第一師団工兵第一連隊の兵舎がありました。さらに西には近衛師団工兵第一連隊の兵舎もありました。両隊が工兵隊ということで、「工兵坂」と呼ばれることもあったそうです。
 この二つの隊がこの赤羽台に移転してきたのは1887(明治20)年のことで、入営する者や面会に来る人々で、この坂道もとてもにぎわったこともあるそうです。

続きを読む


nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:旅行

赤羽緑道公園(東京都北区赤羽台ほか) [戦争遺跡・軍事遺産]


 JR埼京線の赤羽駅から線路を右手に見ながら北に約5分程度歩くと、八幡神社の参道がありますが、ここから軍用鉄道の引込み線が分岐して西のほうに線路が敷かれていました。軍用鉄道は赤羽台団地と桐ヶ丘団地の間をぬうように敷かれていました。線路沿いにあった旧施設は、陸軍被服本廠、赤羽射撃場、陸軍赤羽火薬庫、陸軍兵器補給廠です。
 八幡神社の参道付近からそのまま線路沿いの正面の坂道を登っていくと師団坂です。
 写真は、この軍用鉄道の線路跡につくられた公園で、西のほうに細長く敷地が延びています。床の模様が線路のデザインになっています。線路は単線だったようですが、ここで貨車がすれ違ったのかもしれません。

続きを読む


nice!(2)  コメント(4)  トラックバック(0) 
共通テーマ:旅行

東京第一陸軍造兵廠本部跡 [戦争遺跡・軍事遺産]


 東京都北区十条台の陸上自衛隊駐屯地およびその南に広がる北区中央公園や付近の都営住宅のあたりにはかつて東京第一陸軍造兵廠の広大な敷地でした。
 東京第一陸軍造兵廠は戦争が終結してからはアメリカ軍に接収され、東京兵器補給廠となりました。返還後もこの造兵廠の本部の建物がほとんどそのまま残っていて、北区の中央公園文化センターとして使われています。
 この日はちょうど文化センター祭りの開催中でした。

続きを読む


nice!(2)  コメント(3)  トラックバック(0) 
共通テーマ:旅行

赤煉瓦造「旧変圧室」モニュメント(東京都北区十条) [戦争遺跡・軍事遺産]


 東京都北区の陸上自衛隊十条駐屯地にある赤煉瓦造のモニュメントです。場所は、JR埼京線十条駅から徒歩約十分ほど。駅から駐屯地を目指し、正門前を過ぎてからマンションの前の歩道を右折してしばらく行くと右側にあります。
 解説版によるとモニュメントの赤煉瓦は、かつて1908(明治38)年にこの地に旧陸軍が建設した東京砲兵工廠銃包製造所(のちの東京第一陸軍造兵廠)にあった「煉瓦造254号建物」に使われていたもので、さらにこの建物は1918(大正7)年に変圧室という小規模な建物に一部利用されたようです。

続きを読む


nice!(3)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:旅行

旧東京第一陸軍造兵廠の壁(東京都北区十条台) [戦争遺跡・軍事遺産]


 JR埼京線十条駅から南に歩いて約5分くらいのところに原町踏切がありますが、そのすぐ近くに旧東京第一陸軍造兵廠の壁の一部が残っています。写真はその北西の部分の壁です。写真は原町踏切の西側から撮影しました。

続きを読む


nice!(2)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:旅行

陸上自衛隊十条駐屯地正門(東京都北区十条台) [戦争遺跡・軍事遺産]


 東京都北区の陸上自衛隊十条駐屯地は、旧東京第一陸軍造兵廠の跡地にあります。
 写真は十条駐屯地の正門ですが、1905(明治38)年に旧陸軍によって建設された東京砲兵工廠銃包製造所の建物に使われた煉瓦を取り入れて建設されました。
 正門の前の道を東に進み、マンション前を右折して歩道を進むと左側に公園、右側に赤煉瓦造「旧変圧室」モニュメントがあります。さらに歩道を南下すると、左手に旧十条工場275棟が見えてきます。
 正門の前の道を西に進むと、JR埼京線をわたる踏切がありますが、その前にある古い巨大な壁は旧東京第一陸軍造兵廠の壁の一部です。(2006年9月9日撮影)

■このブログのランキング─人気blogランキングへにほんブログ村 歴史ブログ


nice!(2)  コメント(2)  トラックバック(0) 
共通テーマ:旅行

東京第一陸軍造兵廠殉職慰霊碑(東京都北区十条台) [戦争遺跡・軍事遺産]


 陸上自衛隊十条駐屯地の東北部分に隣接する公園の北に、軍需工場であった東京第一陸軍造兵廠で亡くなった方を慰霊する碑があります。
 陸上自衛隊十条駐屯地の正門の前を東に歩き、マンションの前の歩道を南に歩くと公園がありますが、そのすぐ左手に慰霊碑が建っています。
 公園の反対側に赤煉瓦造「旧変圧室」モニュメントがあります。歩道をさらに南に歩くと、左側(東側)に東京第一陸軍造兵廠の「旧十条工場275棟」が見えてきます。さらに南下すると北区中央公園で、ここには東京第一陸軍造兵廠の本館跡が残っています。(2006年9月9日撮影)

■このブログのランキング─人気blogランキングへにほんブログ村 歴史ブログ


nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:旅行

旭川偕行社(北海道旭川市春光5条7丁目) [戦争遺跡・軍事遺産]

a-kaikousha1.jpg
 日清戦争終結後の1896(明治29)年、北海道の札幌月寒に陸軍第七師団司令部が設置されました。これはロシアとの戦争を意識したものでしたが、1900(明治33)年に旭川の春光(しゅんこう)に司令部が移転し、以降旭川は第七師団の軍都として発展を遂げました。
 1902(明治35)年、将校など師団関係者の社交場、将校クラブとして建てられたのが写真の旭川偕行社(かいこうしゃ。国指定重要文化財)です(2005年8月7日撮影)。木造二階建て、コロニアルスタイルの優美な洋風建築です。
 偕行社では、親睦会・会議・研修・講演・結婚披露宴などの宴会・宿泊などが行われ、また迎賓館としての役割も果たしていました。旭川偕行社では1936(昭和11)年に昭和天皇の行在所として使われたこともあります。また森鴎外陸軍医務総監も旭川偕行社を利用したことがあるそうです。
 太平洋戦争後はアメリカ軍の将校クラブとして使われましたが、1949(昭和24)年、国への返還後に旭川市の管理するところとなり、1968(昭和43)年に復元修理が行われました。1994(平成6)年以降は中原悌二郎記念旭川彫刻美術館として活用されています。
 このような偕行社で建築物として現存しているのは、この旭川偕行社・弘前偕行社(旧第八師団、現在は弘前厚生学院)・金沢偕行社(旧第九師団、現在は国立工芸館)・豊橋偕行社(旧第十五師団、旧愛知大学短期大学部本部)・岡山偕行社(旧第十七師団、現在は岡山県総合グラウンドクラブ)・善通寺偕行社(旧第十一師団)の6つです(竹内正浩『戦争遺産探訪日本編』)。

他の写真も見てみる


nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:旅行

プンタン・サバネタ(サイパン島北部) [戦争遺跡・軍事遺産]


 サイパン島の北部にあるプンタン・サバネタは、アジア太平洋戦争の末期に多くの日本の民間人が身を投げた場所である“バンザイ・クリフ”としてあまりにも有名な場所です。
 1944年6月にアメリカ軍が島の西部の海岸から上陸し、日本軍との間に激しい戦闘が行われました。この戦いでは多くの民間人も戦闘に巻き込まれて約4,000名がこの島北端に追い詰められました。アメリカ軍兵士による制止も効果なく、日本人を中心とする多くの民間人がここで集団自決したり、岬の断崖から海に身を投げたそうです。

続きを読む


nice!(1)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:旅行

砂糖王公園(サイパン島) [戦争遺跡・軍事遺産]


 サイパン島のガラパンの郊外、ミドルロード沿いに砂糖王公園(シュガー・キング・パーク)があります。道路を隔てて刑務所跡の反対側の位置になります。この公園に建っているのが松江春次氏の銅像(高さ約7メートル)です。
 砂糖王こと松江春次は会津出身の実業家で、サイパン島日本統治時代に製糖事業で成功した人物です。松江春次氏が経営をまかされた「南洋興発株式会社」は、植民地を支配するために政府も出資して設立された東洋拓殖会社が、現地で製糖を行っていた会社を統合させて1922(大正11)年に設立した会社です。
 アメリカ軍上陸後、この公園も戦場となりましたが、この銅像は破壊しないようにとアメリカ軍から指示が出されたという話しを聞きました。像にはいくつか弾痕が残っているそうです。この公園に隣接してサイパン香取神社があります。

続きを読む


nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:旅行
前の10件 | 次の10件 戦争遺跡・軍事遺産 ブログトップ