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普光明寺(埼玉県新座市大和田4丁目) [旅の記録]

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 真言宗のお寺。中庭から山門方向を撮影しました。2022年4月1日、iPhoneSEで撮影。
 写真の左(お寺の南側)が鎌倉街道跡の道筋になっています。
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広野大下三叉路の庚申塔群(埼玉県比企郡嵐山町) [歴史散歩]

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2022年3月27日、iPhoneSEで撮影。6基の庚申塔(町指定有形文化財、考古資料)が含まれ、すべて造立年を確認することができます。庚申塔には享保15年(1730年)、貞享二年(1685年)、寛保四年(1744年)、嘉永二年(1849年)、安永二年(1773年)、文政六年(1823年)の年号がそれぞれ刻まれています。

■参考資料

嵐山町教育委員会案内板(2016年)

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埼玉県営和光樹林公園(埼玉県和光市) [旅の記録]

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 東武東上線和光市駅から徒歩で約20分、埼玉県和光市広沢にある埼玉県営和光樹林公園は旧米軍のキャンプ朝霞基地(キャンプ・ドレイク)の跡地につくられた施設のうちの一つです(2022年3月17日撮影)。開設は1989(平成元)年です。

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新座市大和田の鎌倉街道跡(埼玉県新座市大和田4丁目) [鎌倉街道跡]

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 新座市教育委員会の設置した現地の案内板によると、この道は鎌倉街道の脇街道の一つで鎌倉街道上道(かみつみち)の久米川宿(東京都東村山市)から分岐し、柳瀬川沿いに北東に進み下宿(東京都清瀬市)を経由、この大和田や宗岡(埼玉県志木市)を経て羽根倉の渡し(埼玉県志木市〜さいたま市)を通って鎌倉街道の中道(なかつみち。奥州道)に接続して奥州に向かう道とされています。
 写真は、普光明寺の東南に伸びる鎌倉街道跡で東から(志木方面から大和田宿方面)撮影したものです(2022年2月25日、GRDIIIで撮影)。右に見えるのが普光明寺です。近世の大和田宿がさかえる以前はこの鎌倉街道沿いにあった普光明寺や近くの大和田氷川神社のある地域を中心に古くから栄えていたと思われます。
 この街道は旧川越街道とほぼ直角に交差しており、交差点は大和田宿の上宿にありました。

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坂戸神社(埼玉県坂戸市日の出町) [日光脇往還]

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 日光脇往還(日光街道)を鶴ヶ島方面から北上し、坂戸宿(埼玉県坂戸市)に入る手前にあるのが坂戸神社です(2022年2月24日、GRDIIIで撮影)。
 江戸時代には「日枝山王社」と呼ばれていました。清寧天皇・櫛御気野命(くしけぬのみこと)・猿田彦命・大山咋神・建御名方命(たてみなかたのみこと)・菅原道真公・須佐之男命・菊理姫命(くくりひめのみこと)・倉稲魂命(うかのみたまのみこと)・応神天皇の十神を御祭神とする神社です。

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坂戸宿(埼玉県坂戸市日の出町・本町・元町) [日光脇往還]

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 坂戸宿(埼玉県坂戸市)は日光脇往還(日光街道)の高萩宿から約6キロメートルの宿場です。次の宿場は高坂宿(埼玉県東松山市)です。
 高萩、鶴ヶ島から日光脇往還の道筋を進み東武東上線の踏切を越えてしばらくすると左に坂戸神社があります。さらにもう少し進むと旧坂戸宿に入ります(写真。2022年2月24日、GRDIIIで撮影)。通りの約1キロメートル先の突き当たりに坂戸小学校がありますが、ここまでが坂戸宿の宿場町でした。小学校の柵の近くには道標が残っています。
 江戸時代にの宿場町には約180軒の民家がありました。今も商店街となっています。坂戸宿は八王子千人同心が八王子を出発してから最初の宿泊地でした。

■主な史跡・文化財など

坂戸神社(日の出町)・旅籠角屋跡・永源寺・道標(宝暦十年)など

■参考資料

『歴史の道調査報告書第四集 日光脇往還』埼玉県教育委員会、1985年
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松山宿上宿(埼玉県東松山市本町一丁目) [日光脇往還]

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 松山宿中宿(中町)にある交差点から日光脇往還の道筋をさらに200メートル程北上すると松山宿の上宿(上町)です(2022年2月5日、GRDIIIで撮影)。
 写真の左(西側)に見えるのが八雲神社で、右手(東側)には曹源寺(曹洞宗)があります。
 さらに進むと左手に上沼公園が見えてきます。

■参考資料

『歴史の道調査報告書第四集 日光脇往還』埼玉県教育委員会、1985年
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松山宿中宿(中町)周辺(埼玉県東松山市本町) [日光脇往還]

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 松山宿の南(下町)にある福聚寺の参道入り口から日光脇往還の道筋を約300メートル程北に進むと本町一丁目交差点にでます。ここがかつては松山宿で最も賑わったところで「札の辻」と呼ばれていました(2022年2月5日、GRDIIIで北方向を撮影)。
 ここはまた重要な東西の道路と交わるところでもありました。西(写真左)に伸びる道路が小川(比企郡小川町)方面へ向かう道で、東に伸びる道は鴻巣(鴻巣市)へ向かう道です。
 交差点北の左の角は糀谷旅館があったところです。右の角は本町広場となっており松山道路元標が移設・保存されています。

もう少し北に歩く


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石橋と石橋供養塔(埼玉県東松山市) [日光脇往還]

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 2022年1月30日、GRDIIIで撮影。日光脇往還高坂宿(埼玉県東松山市)の北部にある「八王子道」道標から都幾川に徒歩で向かい、都幾川河畔(都幾川リバーサイドパーク)に降りたところに小さな水路があり、長さ3メートルほどの緑泥片岩でできた石橋(市指定歴史資料)が架かっています(道標から都幾川への道)。
 北にはかつて「高坂の渡し場」があり、都幾川を渡って松山宿(埼玉県東松山市)に向かいました。
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 石橋供養塔(市指定歴史資料)。石橋供養塔とは、石橋を設置・修理・改修したり木橋を石橋に掛け替えたりした時に、橋の完成などを祝ったり橋の長寿を祈願するため、また交通の安全を祈って建立されたと思われる石造物で、江戸時代から明治時代にかけて特に東日本で数多く建立されました。元々は今よりも石橋に近い位置に建っていたそうです。
 表には馬頭観音座像と「石橋供養塔」の文字などが刻まれています。

裏面を見てみる


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高坂宿から都幾川へ(埼玉県東松山市) [日光脇往還]

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 日光脇往還高坂宿(埼玉県東松山市)を南から北に歩くと国道407号線と信号が見えてきます。その約50メートル手前2本目の道が右側にあります。ここが日光脇往還と川越・児玉往還との分岐点になります。写真の右端に道標が写っています。奥の方の石造物が「八王子道」道標です。
 右に入る道が八王子道(日光脇往還)で、右折してこの道を進みます。

八王子道(日光脇往還)を進む


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