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埼玉県の城館跡 ブログトップ
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雉岡城跡(埼玉県本庄市児玉) [埼玉県の城館跡]


 JR八高線児玉駅の西、徒歩10分足らずのところに雉岡城跡(きじがおかじょうあと)があります。埼玉県指定史跡で、公園となっており散策にも良いところです。写真は、「ほうき郭」の南側の堀と土塁を西から撮影したもので、土塁の高さは約8メートルあります。
 雉岡城跡はまず、関東管領山内上杉氏の居城として築かれましたが、平井城(群馬県藤岡市)に移ったため、家臣の有田豊後守の治める城となりました。川越から上野国西部へのルートに位置するため重要視されていたものと思われます。

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天神山城跡(埼玉県秩父郡長瀞町) [埼玉県の城館跡]


 2006年4月16日、埼玉県秩父郡長瀞町の天神山城跡(てんじんやまじょうあと)に登りました。久々の山登り、というか山城登りです。場所は、関越自動車道を花園インターチェンジで降り、彩甲斐街道(国道140号線)を秩父方面に走ります。長瀞町に入って中野上(なかのがみ)の交差点を左折して、さらに法善寺の前の県道82号線を左折してからしばらく走ると右手に白鳥神社が見えてきます。この神社の後ろの山が天神山城跡の本丸跡です。本丸跡は標高約200メートル、神社からは約100メートルの高さです。 上の写真は二の郭の西肩にある石積みです。

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忍城跡(埼玉県行田市) [埼玉県の城館跡]

秩父鉄道行田駅から西に徒歩約10分で、忍城跡(おしじょうあと)に着きます。忍城は、中世を通じて活躍した成田氏によって築城されたのが始まりとされています。成田氏は藤原氏の流れを汲み、武蔵国司として勢力を拡大しました。本拠地は熊谷市の上之(かみの)でした。
少なくとも文明十一年(1479年)には築城されており、成田氏の居城であったことが文書で確認されています。
戦国時代の終わり頃は後北条氏に属していましたが、豊臣秀吉の小田原の陣(1590年)において、有名な「石田三成の水攻め」にあって開城しました(この際築造されたのが石田堤(埼玉県行田市・吹上町)です)。その後、徳川家康が関東の支配をまかされると家康の支配する城となりました。
寛永十六年(1639年)、阿部氏が入城し忍城は大規模に改築され、同時に城下町の整備も始まりました。(2006年3月21日)

写真は本丸跡に復元された御三階櫓。元々あった場所とは別のところに復元されています。かつての櫓は1703年に完成しました。

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滝の城跡(埼玉県所沢市) [埼玉県の城館跡]

 関越自動車動の所沢インター出口から、国道をさいたま市方面に走り、途中右折して東京都清瀬市に向かう県道(所沢青梅線)に入ります。しばらく走った後「城」という交差点を左折すると滝の城跡(埼玉県指定史跡)に着きます。病院の隣が城跡です。
 二の郭跡の社務所の前には、滝の城跡保存会の方の作成した城跡についての解説パンフレットが置かれていました。たいへん重宝しました。この場を借りてお礼申し上げます。

写真は、二の丸と本丸の間の南側の堀跡です。比高約10メートル。上の方に見えるのが二の丸に立つ社務所です。
 滝の城(本郷城)は、室町時代前半に大石氏によって築城された城が起源で、のちに大幅に改造を加えられた平山城です。河越夜戦(1546年)によって北条氏が関東地方を制するようになると、大石氏は北条氏照(滝山城主のち八王子城主)を婿として迎えました。こうして、滝の城は北条方の城として、その築城技術をもって改造されることとなったと思われます。
 城郭は、崖に面した本郭・二の郭・三の郭を中心とする部分と、北の住宅地にあった方形の外郭の部分と二つの部分に分かれていました。外郭部分が後から追加されたものと思われます。(2006年3月12日)

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青鳥城跡(埼玉県東松山市) [埼玉県の城館跡]

 関越自動車道の東松山インターチェンジを降りて熊谷方面に少し走り、青鳥交差点を左折するともう青鳥城跡(おおとりじょうあと)の城域です。
 青鳥城跡は、約100メートル四方の方形の本郭とそれを囲む二の郭からなります。二の郭は東西約550メートル、南北約300メートルの規模(東松山市教育委員会)で、さらに外側に三の郭が取り囲んでいたと考えられています。平安時代末期に方形の本郭が築かれ、戦国時代を通じて二の郭、三の郭と拡張されたのではないでしょうか。本郭・ニの郭とも土塁跡や堀跡がよく残されています。
 ここから東へ約4キロメートルのところに松山城跡(埼玉県比企郡吉見町)が、約5キロメートル西には菅谷館(埼玉県比企郡嵐山町)があります。
 この城は室町時代の平城で、都幾川周辺の低地にのぞむ台地上に築かれており、城主としては松山城主上田朝直(案独斎)に仕えた山田直安などが考えられています。(2006年3月6日)

写真は本郭跡の西側の土塁(左)です。正面奥に見えるのが北側の土塁跡です。

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源範頼館跡(埼玉県比企郡息障院光明寺) [埼玉県の城館跡]

 2006年2月25日、埼玉県比企郡吉見町の息障院光明寺(そくしょういんこうみょうじ。真言宗)を訪ねました。ここは、源範頼およびその子孫(範頼から5代まで)の館跡と伝えられています。
 源範頼は義朝の子で、兄の頼朝挙兵後、平氏討伐などに活躍した武将です。範頼の子である範国をはじめとする子孫はやがて吉見氏を名乗りました。

館は平安時代末期の方形館で、南北約100メートル、東西約130メートルの規模です。南側の堀跡からスタートして、時計回りに館跡を一周してみました。

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難波田城跡(埼玉県富士見市) [埼玉県の城館跡]

 2006年2月20日、埼玉県富士見市の難波田城跡(なんばたじょうあと)を訪ねました。難波田城は、戦国時代前半関東地方に勢力を築いた扇ガ谷上杉氏に仕えた難波田氏ゆかりの城郭です。

難波田氏は、平忠常の末裔である平安時代末期から活躍した武蔵七党の一つ村山党がその出自です。
 北条氏が関東を制する画期となった河越夜戦(1546年)で上杉方が敗れる際に難波田善銀(正直)も討ち死にしました。記録によると、難波田善銀は勇猛果敢で教養の高い武将であったようです。
 難波田城は、戦国時代を通じて三重の堀を備えた城郭にまで拡張されたようです。縄張りは、南の追手(大手)、四の曲輪、三の曲輪、二の曲輪、本曲輪が北に向かって配置されていたようですが、三の曲輪は二の曲輪と本曲輪を時計回りの反対方向に取り巻き、さらに東に天神曲輪、北に蔵屋敷を含む曲輪が存在したようです。
 北条氏が関東を制してからは北条氏方の城になりましたが、豊臣秀吉が関東を支配下に置くと廃城となりました。
 難波田城の規模は400メートル四方にも及びますが、その一部が富士見市の歴史公園として整備・復元されて見学しやすくなっています。

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鉢形城跡(埼玉県大里郡寄居町) [埼玉県の城館跡]


 2006年1月29日、埼玉県大里郡寄居町の鉢形城跡(はちがたじょうあと)を訪ねました。鉢形城跡は埼玉県大里郡寄居町にある南北約1000メートルに迫る規模の中世城郭跡です。荒川と深沢川の合流地点に築城され、その地形も生かされた堅固の城郭としてもよく知られています。写真はこの本曲輪跡からの眺めです。
 かつては山内上杉家の城で、築城開始当初の城域は荒川に臨む崖の上の部分、現在一の郭(本郭)とされているところであると考えられています。
 その後、北条氏(後北条氏)が関東地方に勢力を固めると、北条氏邦(北条氏康の四男)の重要な城郭として本格的な整備が始まりました。豊臣秀吉の小田原征伐の際、この鉢形城も前田利家らに攻められ1590(天正18)年、落城しました。
 現在、城跡は公園として整備がすすめられ、県立の歴史館もオープンしました。

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伝源経基館跡(埼玉県鴻巣市) [埼玉県の城館跡]

 伝源経基館跡(みなもとのつねもとやかたあと。埼玉県指定史跡)は、JR高崎線鴻巣駅下車徒歩10分、西口から埼玉県立高校鴻巣高校のすぐ南側にあります。
 約100メートル前後四方の方形館で埼玉県内では最古の城郭遺跡です。
 源経基は平安時代前期の武将で清和源氏の祖。平将門の乱の鎮定などで活躍しました。939(天慶二)年、武蔵国の国司である興世王(おきよおう)とともに武蔵国足立郡に下った武蔵国介(すけ。国司の次官のこと)の源経基(?〜961年)は、武蔵国の大豪族武蔵竹芝(むさしたけしば)の支配地を侵略しました。
 この事態に対して武蔵竹芝は平将門(?〜940)に救援を求めましたが、源経基は平将門を恐れて一時避難しました。このときの避難先の場所をこの館跡とする説があります。
 その後、興世王と講和した武蔵竹芝の軍の一部が源経基の館を取り囲みましたが、この時の館というのがこの館跡であるとも考えられています。なお『新編武蔵風土記稿』にもここを源経基館跡とする記述があるそうです。

東側土塁の北端部分。「角落し」の構造となっています。戦国時代に改造された部分であるかもしれません。

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花園城跡(埼玉県大里郡寄居町) [埼玉県の城館跡]


(記事作成中)関越自動車道の花園インターチェンジから国道で秩父方面に走ります。
 本郭跡の東側にある堀切を南から見た写真です。左が本郭で右が二の郭です。この堀切の南側は途中で西に直角に折れ曲がって本郭の南の方に伸びています。

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